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誰かが誰かを見ている情景 [日々雑録]

自分でもワンパターンだと思う事があります。
シアターキューブリックの作品のラストシーンで極端に多いのが、
「誰かが誰かを見ている情景」。
劇団外部への脚本も含めれば40本くらいある緑川の作品のうち、
半分くらいはコレなんじゃないでしょうか……。



「物書きとしての緑川の細胞は岡村孝子さんの言葉と旋律で出来ている」
と日頃から言っている僕ですが、
岡村孝子さんの音楽と同じくらいに、幼い自分のこころに一瞬で刻まれた音楽があります。
その音楽が、その後の自分の癖(へき)となり、
やがて作品の場面としても頻繁に描かれることになったのではないかと、
時々思い出します。



僕が小学校3年生くらいの時に聴いた松任谷由実さんの名曲『ノーサイド』。


松任谷由実さん作詞・作曲、松任谷正隆さん編曲のこの曲は、
高校ラグビーのとある試合で、
劣勢だったチームがゲーム終了間際、同点まで僅かのところまで迫り、しかし力及ばず敗戦した、
という場面をテレビ観戦していたことが、曲が生まれるきっかけだったそうです。

当時は人生の辛酸なんてまったく分からないクソガキだった僕ですが、
この曲を耳にした時、敗れた選手と、それを静かに見ていた人物の感情と情景が溢れてきて、
なぜだか恐怖にも似た気持ちになった僕は、その後この曲をあまり聴けなくなりました。

「ユーミンはこわい」。

子供の僕はそんなふうに思ってしまったんですね(笑)
ユーミンの慈悲深い歌声が、逆に計り知れない怖いものに感じたのでしょう。
僕はあまりユーミンは聴かないで大人になりました。
そんな記憶もすっかり忘却の彼方となって、
華やかなエンターテイメント「シャングリラ」を観に行ったり、
大人としてユーミンの音楽を楽しめるようになったのですが、
やっぱり時々、この曲のことや、この曲を聴いて生まれてくる情景を思うんですよね。


そしてある時、この情景と似たものが身近にあることに気がつきました。
自分が書く脚本の結末です。
かなり高い頻度で、この曲に出てくる人物のように、
「誰かが誰かを見ている。」
そこに台詞はありません。ただ見ているんです。
しかも、この曲で歌われている選手のように、
志半ばで敗れた人、孤独な気持ちで立ち尽くしているだけの人を。

そういうものに、なぜだか美しさを感じるのです。
ゴールを外した選手も美しければ、
何の言葉もかけず離れた場所でそれを見ている人も。


そうした情景を見せながら物語の幕を下ろしてゆく自分の脚本が、まあ多いこと。
もしかすると脚本だけではなく、現実として生きている僕もまた、
グラウンドと客席に立つ二人のように存在しているのかも知れません。
そして、そんな僕のことも誰かに見ていてほしい、
という願いもあるように思います。
もしも、今まで観てくださった緑川の作品がありましたら、
ラストシーンをちょっと思い出してみてください。
かなり高い率で、誰かが誰かを見ていると思います。



48年生きてきて、きのうは大阪で25年ぶりに幸せな再会がありました。

帰り道、まるでタイムマシンのような新幹線のなかで、
今まで出会った人や情景たちをボーっと考えていたら、
少年の心を隠し持ったままの僕のもとへ、この曲がまたやってきました。
やっぱり今でもちょっと怖いです(笑)


「人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ」


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