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誰かが誰かを見ている情景 [日々雑録]

自分でもワンパターンだと思う事があります。
シアターキューブリックの作品のラストシーンで極端に多いのが、
「誰かが誰かを見ている情景」。
劇団外部への脚本も含めれば40本くらいある緑川の作品のうち、
半分くらいはコレなんじゃないでしょうか……。



「物書きとしての緑川の細胞は岡村孝子さんの言葉と旋律で出来ている」
と日頃から言っている僕ですが、
岡村孝子さんの音楽と同じくらいに、幼い自分のこころに一瞬で刻まれた音楽があります。
その音楽が、その後の自分の癖(へき)となり、
やがて作品の場面としても頻繁に描かれることになったのではないかと、
時々思い出します。



僕が小学校3年生くらいの時に聴いた松任谷由実さんの名曲『ノーサイド』。


松任谷由実さん作詞・作曲、松任谷正隆さん編曲のこの曲は、
高校ラグビーのとある試合で、
劣勢だったチームがゲーム終了間際、同点まで僅かのところまで迫り、しかし力及ばず敗戦した、
という場面をテレビ観戦していたことが、曲が生まれるきっかけだったそうです。

当時は人生の辛酸なんてまったく分からないクソガキだった僕ですが、
この曲を耳にした時、敗れた選手と、それを静かに見ていた人物の感情と情景が溢れてきて、
なぜだか恐怖にも似た気持ちになった僕は、その後この曲をあまり聴けなくなりました。

「ユーミンはこわい」。

子供の僕はそんなふうに思ってしまったんですね(笑)
ユーミンの慈悲深い歌声が、逆に計り知れない怖いものに感じたのでしょう。
僕はあまりユーミンは聴かないで大人になりました。
そんな記憶もすっかり忘却の彼方となって、
華やかなエンターテイメント「シャングリラ」を観に行ったり、
大人としてユーミンの音楽を楽しめるようになったのですが、
やっぱり時々、この曲のことや、この曲を聴いて生まれてくる情景を思うんですよね。


そしてある時、この情景と似たものが身近にあることに気がつきました。
自分が書く脚本の結末です。
かなり高い頻度で、この曲に出てくる人物のように、
「誰かが誰かを見ている。」
そこに台詞はありません。ただ見ているんです。
しかも、この曲で歌われている選手のように、
志半ばで敗れた人、孤独な気持ちで立ち尽くしているだけの人を。

そういうものに、なぜだか美しさを感じるのです。
ゴールを外した選手も美しければ、
何の言葉もかけず離れた場所でそれを見ている人も。


そうした情景を見せながら物語の幕を下ろしてゆく自分の脚本が、まあ多いこと。
もしかすると脚本だけではなく、現実として生きている僕もまた、
グラウンドと客席に立つ二人のように存在しているのかも知れません。
そして、そんな僕のことも誰かに見ていてほしい、
という願いもあるように思います。
もしも、今まで観てくださった緑川の作品がありましたら、
ラストシーンをちょっと思い出してみてください。
かなり高い率で、誰かが誰かを見ていると思います。



48年生きてきて、きのうは大阪で25年ぶりに幸せな再会がありました。

帰り道、まるでタイムマシンのような新幹線のなかで、
今まで出会った人や情景たちをボーっと考えていたら、
少年の心を隠し持ったままの僕のもとへ、この曲がまたやってきました。
やっぱり今でもちょっと怖いです(笑)


「人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ」


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岡村孝子さんの「まちの音楽会」へ。~ブレや揺らぎから感じること~ [日々雑録]

かれこれ20年以上、劇作家という仕事をしていますが、
脚本執筆、舞台演出という一見派手に思える超地味な作業を続けるなかで、
不安なとき、創作に迷ってしまったとき、
自分自身が立ち返れる「みちしるべ」のようなものが必要になったりします。
僕の場合、それは岡村孝子さんの言葉と音楽。


シンガーソングライターの岡村孝子さん。
かつては「OLの教祖」と呼ばれ、今では逆に男性ファンも多い岡村さんですが、
14歳の時から岡村さんの音楽に導かれて生きてきた僕にとっては、
親や学校の先生では教えてくれない、人生の苦悩や生きるということのヒントを、
体育館の裏でこっそりと教えてくれるような、お姉さんみたいな存在。
そんなお姉さんみたいな岡村孝子さんのコンサートに出かけてきました。



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今回は岡村さん単独のコンサートではなく、
フォークシンガー三浦和人さんとのコラボレーション。
宝くじの社会貢献事業の一環として行われている音楽会で、
そのため、チケット代がたったの2000円という、
宝くじを買う習慣のない僕にとっては大変申し訳ないお値段でした( ;∀;)

三浦和人さんは長くラジオパーソナリティを務められてきたこともあって、
おしゃべりがとても楽しくて、
叙情的な歌とのギャップがすごく魅力的な方でした。
岡村孝子さんとは相当久しぶりの再会だったようですが、
二人の息もぴったりで軽妙な会話も楽しめる素晴らしいコンサートでした。




岡村孝子さんはコンサートのなかでいつもお客さんに質問をします。
「私、岡村孝子のコンサートにちょくちょく来てるよ、という人」
「今回初めて来ました、という人」
その質問に、お客さんは拍手で返します。

すると相当数の方が「ちょくちょく来てる」という返事を拍手で返します。
僕も含め、かなりの数の方が繰り返し足を運んでいるんだなあ、
ということを実感します。



41年も音楽活動を続けている岡村孝子さん、
これまでに作った楽曲は何百にものぼりますが、
コンサートで歌う曲はわりと決まっています。
もっともっといろんな曲を聴いてみたいなあ、と思わなくもないですが、
同じ曲でも、同じにはなりません。それがライブのライブたる所以です。

曲の歌詞やメロディは同じでも、
それを歌う岡村孝子さんは人間で、
それを聴くお客さんも人間なので、
必ずそれぞれの人生を更新しながら、その曲と「再会」します。

そして、歌手はロボットではありませんから、
歌声には必ずブレや揺らぎがあります。
そのブレや揺らぎを好まないお客さんもいるかも知れませんが、
僕は、その日ごとに違う岡村さんのブレや揺らぎをこそ感じたい、と
劇場へ足を運んでいるように思います。


僕が仕事としている舞台公演もきっと同じです。
物語を伝えることももちろん大切なことですが、
僕は物語を通じて、人間のパワーを共有したい、
そのためにはキャストそれぞれの人間としての息づかいを
お客さんに感じてほしい、と思いながら創作を続けてきました。
作品(役柄やセリフ)は飽くまで道具のひとつなのだと。


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岡村孝子さんの曲には、
「互いに同じ時代を生きている」という意味のフレーズがいくつかの曲に登場しますが、
まさしく、ライブでの岡村孝子さんのブレや揺らぎには、
これを感じられる喜びがあります。
それは歌を歌うどの人にもあるものではなく、
相手のこと、仲間のこと、ファンのこと、音楽のことを強く思う岡村孝子さんの心があって、
その結果、ブレや揺らぎの瞬間にその思いが木漏れ日の光線のように不意に出てくるのだろうと。


思い出すのは、かつて岡村孝子さんの楽屋にご挨拶させていただいた時、
挨拶を済ませ帰る僕を、通路の角を曲がるまで見送ってくださったこと。
その時は恐縮と戸惑いだけでしたが、後から音楽を聴きながらそのことを思い出すと、
「そりゃ、やっぱりそういう人だよね」という納得感いっぱいの素敵な思い出。

つまり、ライブエンターテインメントは、
作品を観に行くようでいて、音楽を聴きにいくようでいて、
本質は、演者の「こころ」を感じに行くのだろうと。



僕は作品を発信する側でもあります。
これからいくつの舞台を作れるか分かりませんが、
そのことを何よりも大事に作品づくりをしていきたいです。

14歳から僕を導き続けてくれている岡村孝子さん。
34年経った今も、たくさんの大切なことを教え続けてくれるお姉さん。
いつまでも元気でいてほしいです。



まだ岡村孝子さんのコンサートに行ったことがない方、
ぜひ一度、体験しに行ってみてください。
そして「初めてきたよ、という人」という質問に拍手で応えてみてください。

「初めまして。私が岡村孝子です。」

という、とびっきり誠実で可笑しい瞬間に出会えますよ(#^.^#)
「私が」という部分がミソです(笑)


次のコンサートツアーは12月に東京、名古屋、大阪です~。



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岡村孝子さんの言葉と音楽の魅力の事、
その音楽から考えさせられた事などを綴った過去の記事です。
よろしければご覧ください。

2017/07/02 NO RAIN, NO RAINBOW
2017/10/16 光と笑顔あふれる庭で
2017/10/16 光を照らす人、岡村孝子さん。
2017/12/15 岡村孝子さんのクリスマス・ピクニック
2017/12/28 「気」が光る場所へ ~岡村孝子さんクリスマス・ピクニック大阪公演~
2018/06/18 泥中に咲く蓮のように
2018/09/12 世界中メリークリスマス
2018/12/05 カムパネルラのもと~岡村孝子さんクリスマスピクニック大阪公演~
2021/09/08 岡村孝子さん復活の祝祭。
2022/12/04 一輪挿しの水を入れ替える~岡村孝子さんのクリスマスピクニック~
2023/05/16 岡村孝子クリニック受診


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久しぶりにリピートした映画のこと [日々雑録]

中学生当時、南野陽子さんのファンだった頃(今もですが)、
有楽町東映で主演映画『菩提樹』を朝から夕方まで3回連続で観ました。
あの頃、映画館は入れ替え制ではなくて、ずっと客席に居られたんですよね。
昔はそんな時代もありました。

大学時代、キャラメルボックスに就職する前の一ファンだった頃は、
1カ月間の公演の前半と後半で、二度は足を運び、
演劇作品が日々変わり続けてゆく様子を見届けたりしていましたが、
映画や演劇の同じ作品をリピートして観るということは、今はまずありません。



先日、とても久しぶりに一度観た映画を、もう一度観に行きました。

数多の作品に触れる機会に恵まれたエンタメ業界で長年仕事を続けていて、
作品との出会いのインパクトも薄らいでしまっている自分を淋しく感じていましたが、
自分の心にひっかかった作品にもう一度会いにいく、という行為は、
一個人の衝動に正直に向かい合う、祈りにも似たとても大事な時間でした。


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深川栄洋監督、宮澤美保さん主演の映画『光復』。

まだどこで上映があるか分かりませんので、
ネタバレに繋がるような表現は避けたいと思いますが、
現代の人間社会が抱える問題や、地方コミュニティの難しさを浮き彫りにしながら、
普遍的な「人間」の業を抉り、
そしてそういう弱い存在である人間という生きものを
あらためて愛おしく感じてしまう、
とても重たく、とても優しい物語でした。

4月に一度観て、その後、作品自体のことを思い出す機会はあまり無かったのですが、
おそらく自分が生きる日常の時間のなかで、
無意識に作品を追体験するような思考が繰り返されていたのでしょうか、
再上映があるという情報に触れ、
「あらためてこの作品を観たら、自分はどんな思考をするのだろう……」
そう思って、あっという間に予約を入れていました。

深川監督とは比べるべくもありませんが、
僕も、物語を書き、演出をする仕事をする立場にあるだけに、
自分と同じこんな衝動を感じてもらえる作品だけを残したい、
たとえ暗く重たい印象の作品であろうとも、
人や社会を優しく包むような作品を創りたい、と心から思います。
またそういう作品づくりに参加したいと思ってくれる
俳優やスタッフとの出会いを大切にしたい、とも。



主演女優の宮澤美保さんは、深川栄洋監督とはご夫婦で、
お二人のその関係の深さもまたこの作品づくりに大きな力を及ぼしているように感じました。

20年以上「劇団」というスタイルにこだわり、いくつも作品を創ってきた僕は、
この点にこそ、最も強い関心を覚えました。

座組を構成する人々の関係が作品に与える影響。

良い要素もあれば、落とし穴になりかねないネガ要素もあるはずですが、
この作品における深川監督と宮澤さんは、固い信頼関係のもと、
人間がパーソナルな瞬間にしか見せないぶざまな様子や感情を、
緻密に、そして大胆に描いていました。
作品とは思えない、人の家を覗いているようなリアル。

信頼に基づいた緊張感が生み出す
創作現場の空気がしっかりとベースになって、
人間のそうしたリアルがフィルムに焼き付いていました。

僕が創るようなファンタジーテイストの舞台作品は、
リアルとは縁遠い「夢物語」と誤解されがちなのですが、
観る人々が楽しめる作品にするためには、
ファンタジーであればこそ、むしろリアルは絶対に必須で、
僕はいつでもどこでもどこまでもリアルを追求し続けたい。

それが観客に対する誠意のように思います。


物語を創る立場の人間として、
とてもたくさんの気づきをもらえただけでなく、
一人間として、豊かな心の旅をさせてもらえた
『光復』という映画作品に、心から感謝。

『光復』の公式サイト→ https://kofuku-movie.com/


また衝動的にリピートしたくなる映画や演劇に出会いたいな。
恋する気持ちにちょっと似てるんですよね、たぶん。


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賢治さんたちに会いに~映画『銀河鉄道の父』を観る~ [日々雑録]

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Ora Orade Shitori egumo

今夜は久々にこの言葉を反芻しています。




作家・宮澤賢治が遺した物語を、映画や演劇にした作品はいっぱいあります。
賢治の人生を描いた作品もいっぱいあります。
でも賢治周辺の人々を真ん中に据えて描いた物語はあまりありません。
(あったかも知れないけれど、僕は出会いませんでした)。

若くして死に別れた賢治最愛の妹、トシさんを主人公にした作品を創りたい、
20年前、僕はなぜだかそんな想いでいっぱいになりました。
だって賢治が遺した物語は、彼のまわりの人々や
岩手の大自然がもとになって生まれてきたんだということが、
どの作品を読んでもイヤというほど分かるから。
そして『葡萄酒いろのミストラル』という舞台作品を書きました。


今回の映画『銀河鉄道の父』は、
賢治やトシのお父さん、政次郎(まさじろう)さんが主人公の物語。
つまり、『葡萄酒いろのミストラル』とちょっと似てるんです。

「宮澤家の空気を感じることで、賢治の作品世界を感じる。」

間接照明的なコンセプトがとても僕には合っています。



お父さんの政次郎が主人公ですから、
賢治は脇役として登場します。そして途中退場する妹のトシも。
トシの物語を書いた僕としては、やはり無意識に彼女に意識が行きます。

トシを演じた森七菜さん、最近ではドラマの現場で
いいように使われている気がして切なかったのですが、
久々に彼女の本領を拝んだ気がしました。
そして祖父喜助を演じた田中泯さんは文明溢れる今の時代を生きている現代人なのに、
いつも昔の人に見えるのはなぜなのだろう。
あのような異彩を放つには絶対に何か訳がある。
表現には、出そうと意図しなくても、その人の生き方が滲み出てくるもので、
むしろ出したくないものまで出てくるもの。
僕の場合は、演技をしてくれる俳優たちがオモテに出てくれるけど、
脚本や演出にも間違いなく滲み出るものがあるのでしょう。
表現を突き詰めてゆくと、それは操縦不能なのものかも知れません。


そんな素敵な俳優たちが演じた宮澤家の人々。
質屋という特異な環境であるにもかかわらず、
どの家庭にも通じる普遍性が描かれていて、序盤から心に沁み入るものがありました。

賢治は宮澤家のなかでは巨大台風みたいな存在で、
「台風」の妹トシは、ギラギラの太陽みたいな存在だったのかなあ。
僕が想像する賢治とトシの印象は昔からそんな感じです。
この映画を観た後、僕の頭は20年前に書いた作品に込めたトシへの想いでいっぱいになりました。


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すみません、ここから先は作品に込めた賢治やトシへの想いばかり書き連ねてしまいそうです。
「作品」というのは『銀河鉄道の父』じゃなくて『葡萄酒いろのミストラル』です。。
『銀河鉄道の父』の感想を探していた方、大変申し訳ありません( *´艸`)


舞台作品『葡萄酒いろのミストラル』は、
犬に生まれ変わったトシが、兄賢治に会いに行く冒険物語。
物語のオープニングシーンとラストシーンで二度、

「大丈夫、どこまでも走れるよ、私は一人じゃないもの」。

という台詞が出てきます。
実はこの台詞、トシがいよいよその命を終えようとした時に遺した、
「おら、おらで、ひとりでいくも。」という言葉から来ています。

賢治の弟・清六さんの著書では「トシは内気で穏やかな人だった」とあるように、
トシは品がよく嫋やかな女性像で描かれることが多いのですが、
けっしてそれだけの人ではないと僕は思っています。
その理由のひとつが、臨終のときのこの言葉。

「おら、おらで、ひとりでいくも。(私は私で一人でいきます)。」

あまりにも早く訪れた自分の死に対して毅然と向き合うトシの姿が浮かびます。
「私は一人じゃないもの」と「ひとりでいくも」は一見真逆の意味に思えますが、
家族に向けて「ひとりで行く」と言えたトシは、
「つまり自分は一人じゃない」という気持ちがあったからではないか、
そう思うわけです。飽くまで僕なりの解釈ですが。



そもそも「どうして宮澤トシが犬なの~?」と思う人もいるかも知れません。
実は犬なのにも理由があって、その突飛な設定は、

「今度生まれてくるとしても、こんなに自分の体のことだけで苦しまないように生まれてきます」

というトシの言葉から来ています。

つまりトシは「丈夫な体に生まれて、もっと人のしあわせのために尽くしたかった」と。
そうであるなら、純粋無垢な動物である犬こそトシのこの想いにぴったりなのではないかと。





そんな想いを込めて書いたのが『葡萄酒いろのミストラル』です。
何よりも、早くに離ればなれになってしまったトシと賢治が、
会いたいときにいつでも会いにいけますように、という願いを込めて、
僕は20年前にこの兄妹の物語を書いたんだっけ、ということをふと思い出したのでした。

映画そっちのけで、自分の作品大好き人間みたいな文章を書いてしまいました…(´Д`)
実際そうかも知れませんけど、それ以上に物語を通して、
岩手の大自然、そこから生まれた宮澤賢治の作品、
そこで生きた人たちの想いを伝えたい、という気持ちが今でも一番強いです。


賢治はとても魅力的で才能溢れる類い稀な人でしたが、
彼が遺した輝かしいいくつもの作品群は
彼とともに生きた人々と故郷の自然が創ったものだ、
とあらためて感じたほんとうに素晴らしい映画でした。
宮澤家を覗き穴から覗いているような、そんな気持ちになりました。
あと5回くらい観たかった~。


また大好きな花巻へ帰りたいな。
そして、いつか『葡萄酒いろのミストラル』を岩手で上演し、
賢治さんはじめゆかりの方々に捧げたいと、心からそう思います。

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岡村孝子クリニック受診 [日々雑録]

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今回も岡村孝子先生に治療していただきました(^○^)


「これは、あれだ、手術だな…」、

そう感じた昨年末の岡村孝子さんのコンサート。
今回もまた前回と近い感覚の“手術”の時間となりました。


少年時代から僕の人生を支え、むしろこの方によって人生が拓かれたともいえる
一生の恩人、岡村孝子さんのコンサートツアー「T’s Garden」初日に伺いました。
4年前に見つかった病気との闘いで一時は音楽活動もお休みし、
とても大切にされているコンサートを行えるようになったのは一昨年の9月。
年齢を重ねているにもかかわらず、大病を患う前よりもますます力強い歌声になり、
なんとも不思議なチカラを感じざるを得ません。
数々の歌に書かれている言葉にも表れていますが、
苦難をすべて力に変えてしまう人なのだと思います。


僕のほうはというと、相変わらずコロナウイルスとの闘いで
心が疲れてしまっている状態は続いているようで、
無自覚なままずっと心が張り詰めていることに、
岡村孝子さんが歌うこの場所に来ると気づかされます。

戴いた席がどセンターだったこともあり、
岡村孝子さんの言葉と音楽に正対するかのごとく全身の毛穴を解放し、
自分の細胞をかたちづくる音楽世界に身を委ねるのでした。




ソロ活動前の「あみん」時代も合わせると40年以上の活動となり、
コンサートでは新しい曲、懐かしい曲を色とりどりに散りばめ、
作曲のウラ話なども織り交ぜながら披露してくださるのですが、

「昔の楽曲を歌う時には、それを創った時代の自分が隣にいる感覚」

とお話をされていて。

いろんな時代の自分が、今の自分と一緒に生きている・・・
やっぱり岡村孝子さんは、
幾つになってもずっと少女のままで、
そしてずっと昔から大人だったんだと、
そのお話を聴いてあらためて感じたのでした。



僕もまた、脚本を書くときも、ふだんの生活においても、
大昔の少年時代の感情を自分の奧から引っ張り出し、蘇らせるというよりも、
いま生きている自分が、まるでその当時の自分であるかのように、
ものすごく新鮮な感情とともにかつて見た情景が浮かぶことが多くて。
これはきっと、僕自身が多感な時代を岡村孝子さんの音楽と過ごし、
この方の音楽や言葉を通して、いのちあるものが、生きること、死ぬこと、
不条理に感じる多くのことを思い続けてきたからなんじゃないかと、
そう思わずにはいられません。



岡村孝子さんが果たしてどうなのかは分かりませんが、
僕に関していえば、自分がそういう気質であることで、
とても生きづらさというかハンデを感じます。
様々な出来事に対処できてゆくキャパが増える一方で、
年齢を重ねてどんなにたくさん経験を積んだとしても、
少年のように心が傷つく、その頻度は変わりません。
むしろ増えている気さえします。

だからこそ物語を創るメンタルを持ち続けることができる訳ですが、
「心の肺活量」みたいなものがいつもオーバーヒートしている感じです。
岡村孝子さんもご自身の暮らしのなかで感じたことを
音楽作品に昇華させるスタイルのアーティストなので、
そのあたり、どうなのかなあと。
創作のそういうディープなお話をいつか伺える時が来たら嬉しいです。


昨年の公演『葡萄酒いろのミストラル』では、
岡村孝子さんの楽曲「ミストラル~季節風~」をメインテーマとして拝借しました。
この舞台作品は、孝子さんのこの曲があって初めて生まれた物語です。
同公演パンフレットでは、岡村孝子さんの音楽とシアターキューブリックの舞台作品の
関係性等について考察した記事も掲載しています。
最近、「緑川さんが創る舞台は岡村孝子さんの音楽がぴったりですね」という
大変ありがたいご感想をいただきました。
そのご感想をくださったご本人にもお伝えしましたが、そのコメントはちょっぴり野暮です(^○^)
だって僕の作品世界は岡村孝子さんの音楽があって、そこから生まれているものばかりですから!

『葡萄酒いろのミストラル』公演サイト
https://www.qublic.net/20mistral/




音楽シーンを含めたエンターテインメント業界も、
ようやく回復の軌道に乗りつつあり、
今回の会場も、ここ2、3年の厳戒態勢も薄らいで、
ステージと客席の心の距離もぐんと近づいた印象がありました。
かつてはOLの教祖と呼ばれた岡村孝子さんですけれど、
アーティストが教祖的立場から一方的に発信し、観客がそれを受け取るのではなく、
岡村孝子さんの現場のステージと客席は、
柏手の左手と右手のような、そういう関係なのだと思います。
ですから、想いを伝え合う濃い空間を取り戻せた喜びを、
そこにいた人たちの多くが感じていたように思いました。



病気を克服し、この場所に戻ってきてくれてありがとうございました。
今回も最後はやっぱり、それに尽きます。




岡村孝子さんの言葉と音楽の魅力の事、
その音楽から考えさせられた事などを綴った過去の記事です。
よろしければご覧ください。

2017/07/02 NO RAIN, NO RAINBOW
2017/10/16 光と笑顔あふれる庭で
2017/10/16 光を照らす人、岡村孝子さん。
2017/12/15 岡村孝子さんのクリスマス・ピクニック
2017/12/28 「気」が光る場所へ ~岡村孝子さんクリスマス・ピクニック大阪公演~
2018/06/18 泥中に咲く蓮のように
2018/09/12 世界中メリークリスマス
2018/12/05 カムパネルラのもと~岡村孝子さんクリスマスピクニック大阪公演~
2021/09/08 岡村孝子さん復活の祝祭。
2022/12/04 一輪挿しの水を入れ替える~岡村孝子さんのクリスマスピクニック~



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今月のお題「今年の干支は兎だよ。」 [日々雑録]

シアターキューブリックのメルマガ配信日恒例のお題ブログ、今月は久々に絵です。

今年の干支、うさぎを正面から描くというテーマです!
写真や絵など、何も見ずにというのが条件なので、
かなりヤバい絵になるだろうと予想しておりますが果たして、、、、












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なんか、わりとそれっぽくなってしまいました……

昔、うさぎと一緒に7年くらい暮らしていたので、
うさぎのフォルムとか、姿勢とか、けっこう覚えていたのかも知れません。


「絵と歌は下手にかぎる」というのが信条なのですが、どうも中途半端でいけません。


さて、他のメンバーはどんなうさぎの正面を描いているかな??

メンバーのブログはこちらからどうぞ!
https://www.qublic.net/
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新年も、おはようございます。 [日々雑録]

これを書くことは少し勇気が要ります。

年が明けて「あけましておめでとうございます」と言うことに、実は妙な抵抗感があって。


元日は手帳もカレンダーも新しく変わる特別な日なんですが、
だからこそ、なのかな、自分のなかの日常を亡くしたくない、
という気持ちがもやもやと立ち込めます。

以前から社会不適合者の自覚はあるのですが、
友達や応援してくださる方々に呆れられたくなかったからなのか、
こんなことを書くのは初めてです。


年末の大掃除が、大晦日に終わらなかったことは寧ろ幸いで、
今日は昨日の続きの掃除をしました。その日常の感触が幸せでした。
そんな僕でも正月休みがあけて、人に会えばきっと新年の挨拶をしまくると思います。
だから、せめて新年の過ごし方やSNS上では自分らしくいたいと思って。


クリスマスの近辺だけ、街じゅうが世界平和を願う特別な空気になるのが苦手なように、
新年をお祝いする特別感が苦手です。
1年365日のうち、仮に1週間をハッピーニューイヤーモードで過ごすことで、
必然的に喪うことになる1週間の日常がもったいない、というか。



今年は、ぬるっとした新年を心がけてみました。

朝、家族には「おはよう」と言いました。

お掃除をして、布団を干して、なるべく新年のテレビ番組を観ないようにしました。

一番観たい映画を観ました。(「ALWAYS 三丁目の夕日’64」です(#^.^#))

ふだんと同じトレーニングをしました。



なんか、よかったです。






だって、この先、何度お正月を迎えられるか分かりません。

だから世間の空気に巻き込まれ、もやもやとした気持ちで新年をスタートするより、
自分の人生のリズムとトーンで、どんな日も生きていきたいなと、
かなり今さらですが思ったのでした。


新年最初の朝も「おはよう」がいいな、って思った2023年の元旦でした。



平穏な2023年になりますように。


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一輪挿しの水を入れ替える~岡村孝子さんのクリスマスピクニック~ [日々雑録]

『ミストラル~季節風~』や『世界中メリークリスマス』など、
自身の舞台作品でもメインテーマとして楽曲をお借りしている
シンガーソングライターの岡村孝子さん。
少年時代から僕の人生を支え、むしろこの方によって人生が拓かれたともいえる
岡村孝子さんの4年ぶりのクリスマスコンサートへ。


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3年前に見つかった病気との闘いのために、
一時は音楽活動も休まれていた時期もありましたが、
とても大切にされているコンサートも行えるようになったのは昨年の9月。
完全復活されたのかどうかはご本人でないと分かりませんが、
不思議なことに姿も歌声も、大病を患う前よりも元気な感じで、
生命力、想いの強さ、目に見えない不思議なチカラを感じざるを得ません。




コンサートの幕が開き、逆に僕のほうがこれまでになく心が疲れていることに気づき、
2時間30分にわたる手術のような時間が始まりました。


コロナウイルス禍によって続く舞台業界の大不況と会社経営の苦境。
心が疲れている理由は自分でもはっきりと分かります。
知らないあいだに僕の心は疲れと不安に蝕まれ、体は委縮し、
血も澱みきっていたのだと思います。
この僕の細胞は岡村孝子さんの言葉と旋律でかたちづくられているのですが、
この1~2年はそのようなこともすっかり忘れ、
孤独ではないにもかかわらず、自ら孤立し、
ここに書くことも憚られるような、良くないことも考えるほどでした。


岡村孝子さんも確実に変化し、老いていく一人のひとですが、
この方の場合、生きものと思えないくらいの「不変」があります。


「まっすぐに生きている」という不変。


少年だった僕を惹きつけ、今も堅く離さないチカラはここにあります。

人ですから、当然、苦悩や低迷はあるはずです。
もともと力強いのではなく、自分との格闘の末に掴み取った強さ。
もしかすると、自分にもできるのではないかと思わせてくれる希望。
岡村孝子さんに感じる希望は、それです。






最近知人から思いがけない言葉をもらいました。


「岡村孝子さんは緑川にとってゴールデンシャドウ」。


ほんとうにそうなんだと思います。
自分の人生もかくありたい、そう思い続けてきた半生。

そんなありがたい存在も忘れ、周りで支えてくれる人たちにも頼れず、
一人で苦しんでいる自分を、予期せずに突き付けられたのでした。
岡村孝子さんの歌がまるで説教(説法)のように思われました。




優しさや幸せは、自分が思っているよりもたくさん自分の周りにあります。
難しいのは、それに気づける自分でいられるかどうか。
30年間、岡村孝子さんが僕に問いかけ続けてくれているのは、
そういうことなのかなと。
そして、僕もそういう自分で在り続けるために、
この人のように優しさや幸せな気持ちをたくさんの人に届けるために
物語を創り、会社を束ねようとしているのだろうと。




仮に僕が一輪の何かの花だとしたら、
一輪挿しの水を入れ替えてもらったような、
自分の中の水が透きとおった水に替わったような、
そんな感覚を覚えながら渋谷の公園通りを下ったのでした。


そして僕だけではなく、たくさんの方たちがそれぞれ貴重な何かを得たり、気づいたり……。
岡村孝子さんにはいつまでもそういう大切な瞬間を創る存在であり続けてほしいと、あらためて強く思いました。

病気を克服し、戻ってきてくれてありがとうございました。


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岡村孝子さん復活の祝祭。 [日々雑録]

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きのう新渋谷公会堂「LINE CUBE SHIBUYA」で
3年ぶりの岡村孝子さんのコンサートが開催されました。
長引く緊急事態宣言で開催さえも危惧されましたが、
満員の観客はマナーをよく守り、一人として歓声をあげず、立ち上がらず。
主催側の徹底した対策のもとに無事開催されたその「祝祭」は
思いやりと誠実な気持ちにあふれた岡村孝子さんらしい空間になりました。

今回のコンサートは、ただ単純に久しぶりということではなくて、
おととし春、急性白血病になり緊急かつ長期の治療・闘病を余儀なくされ、
激動の時間を乗り越えた岡村孝子さん復活の舞台でした。




白血病どころか大病を患ったことがない僕にとっては、
そうした闘病後の人が、ひとり「舞台に立つ」ということが
どれほど大変なことなのかを身をもって知る術はありません。
人並み程度の想像をするならば、多少のパワーダウンや声の「かすれ」は有って当然で、
そんなことより舞台に戻ってきたことそのものを祝福する気持ちで開演を待っていました。


ところが、約3年ぶりに舞台に戻ってきた岡村孝子さんは、
僕のこんな貧困な想像を一瞬にして裏切り、
近年の歌声よりもよほど力強さのある超人になっていました。




病気を患う前から、誰もが等しく年を重ねてゆく一人の人として、
けっして抗うことのできない時間の流れを静かに受け止め、
作風や歌い方も、常に変化しつづけていたシンガーソングライター。
けれどもその変化の中で、
けっして変わらない「少女性」のようなものが光を放ち続けている、
それが岡村孝子さんの魅力のひとつのように感じていました。

今回の舞台で目のあたりにした超人ぶりは、
けっして色褪せることのないその少女性が力を発揮したように思えてなりません。





僕は14歳の時から、岡村孝子さんの音楽を聴いて大人になりました。

大人になって舞台芸術の仕事に携わるようになり、
自分の作品を何本も産み落としてゆくなかで、僕の細胞深くに沁み込んでいる
岡村孝子さんの音楽・言葉にあらためて気づく機会も増えていきました。
きっと僕のなかには、オッサンになってもなお色褪せない「少年性」があって、
それが自分の作品の大きな特徴なのだろうと感じています。

それは取りも直さず、岡村孝子さんの世界に一貫して感じる少女性がルーツです。




渋谷公会堂の客席で僕が岡村さんに送っていた拍手は、
復活をお祝いする拍手だったのと同時に、
岡村孝子さんの作品との出会いによって生まれた
僕の人生にあふれるたくさんの奇跡への、感謝の拍手だったようにも思います。


岡村孝子さんの楽曲『ミストラル~季節風~』がもとになって生まれた物語、
『葡萄酒いろのミストラル』はこの度公演延期となってしまいましたが、
あらためてこうした自分自身の歴史をかみしめながら、
メンバーたちとともに大切に作ってまいりたいと思います。

『葡萄酒いろのミストラル』公演延期のお知らせ
https://qublic.net/info/post_56.html



今思えば、2年半前。

岡村孝子さんの病気の一報を聞いた僕は、まったく生きた心地がせず、
ふたたび元気になってくれさえしたら、あとは何も望んでいませんでした。

病状を少しでも知りたいと思い、病気を報じる新聞をすべて買ったのに、
読むのが怖くて、ついにそれらを一文字も読むことはできませんでした(笑)


それが2021年の9月、こんな幸せなことになっています。



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「NO RAIN, NO RAINBOW」

雨のあとには、虹が出る。




まだまだ夢の途中。前を向いて歩いていこうと思います。

岡村孝子さん、おかえりなさい。



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絵を見にゆく [日々雑録]

絵を見に行きました。

その絵との最初の出会いは3年前に上演された演劇作品のチラシでした。


草野碧さんの描く絵は風景が多くて、どれもノスタルジック。

明るい色で描かれた絵も、どことなく切なさが滲み、

暗い色の多い絵も、どこかから温もりが漂います。

描く人、見る人双方の、人生や感情が絵を通して交差する。

それって演劇ととても似ているなあと思うのです。



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そういえば、子供の頃、姉にくっついて絵を習っていた時期が少しだけありました。


残念ながら絵ごころというものはまったくありませんが、

脚本を書くとき、会社の将来をイメージするとき、

ちょっとした絵を描いて、イメージを膨らませたり、

頭のなかを整理したりする自分が、なんとなく好きです。





毎日頭のなかで反響しつづける生活音がすーっと静まるような時間でした。

もしよかったら、みなさんも見に行ってみてください。



草野碧「color」展 -それぞれの光を見つける-
会期 / 8月 2日(月)まで
時間 / 11:00~20:00 ※最終日は17:30まで
場所 / 渋谷ヒカリエ8階
https://www.hikarie8.com/atelier/2021/06/-color.shtml


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▲草野碧(くさのみどり)さんと。「みどり」繋がり(笑)

撮影してもらう時だけマスクをとりました(^○^)
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