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始まりました!『幸せな孤独な薔薇』公演グッズ販売! [日々雑録]

今回の公演も劇場ロビーではさまざまな公演グッズが並ぶ予定でした。
が、公演そのものが延期になってしまい、
「関連グッズだけ売る」というのもちょっと間抜けにも思いましたが、
せっかく丹精込めて作りましたので、インターネットでグッズ販売始めます!
(実際のところはグッズを買っていただかないと、次の活動に進めないのですっっ!!)



名付けて「公演延期応援企画」!!!!!!

自分たちで「応援」とか付けてる時点で余裕の無さを感じます(笑)
でもでも、なかなか素敵なラインナップが揃っているのですよ。


「いつものシアターキューブリックとは一味雰囲気が違うね」と評判だった
絵本作家なかむらしんいちろうさんイラストのメインビジュアル。
このイラストがデザインされたクリアファイル、かなり素敵。
さらに、キャスト8名の集合写真付きのお得なセット販売もあります。
さらに、「保管用と使う用2枚欲しい!」という方のために2枚セットもご用意!

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▲キャスト集合写真はこれです。



キャストブロマイドは8名のキャストそれぞれ、3種類の写真を1セットに。
劇団20周年の特別限定ロゴと作品タイトルが刻まれ、
作品の世界観にぴったりな空間で撮影された珠玉の写真たち、かなり素敵。
それぞれお好きなキャストを選べるよう、俳優別の3枚セットになっています!


公演はしばらく先となりますが、
『幸せな孤独な薔薇』の香りがするグッズをお手元に置いて、
楽しみに公演をお待ちいただけたら幸せです。

公演グッズのラインナップおよび詳細は以下のページをご覧ください!
https://qublic-goods.stores.jp/


応援なにとぞよろしくお願いいたします!

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おじいちゃんのこと [日々雑録]

先月の18日、ぼくのおじいちゃんが亡くなりました。
「見えなくなった」というほうが正確でしょうか。

96歳だったぼくのおじいちゃんとは、
ぼくが埼玉の幼稚園・小学校に通った8年間以外はずっと一緒に暮らしました。
80代半ばまで楽団でギターを弾いていたアーティストなおじいちゃん。
つまらないダジャレがすきで、手の器用なおじいちゃん。
周囲を一瞬固まらせてしまう、ぼくの唐突な、しかも冗談と判じ難い冗談は、
きっとおじいちゃんから母親へ、そしてぼくへと受け継がれた遺伝子です。
それからうちには畳一畳分くらいの、ぼくが作った鉄道ジオラマがありますが、
これもきっとおじいちゃんから受け継がれたものです。
10歳の頃、家に突然、上越新幹線のNゲージが出現しました。
おじいちゃんがぼくを驚かせるために用意してくれたものでした。
自分がしてもらって嬉しかった思い出は、自然と再生してしまうのでしょうね。

ぼくは自他ともに認める「おじいちゃん子」で、
小さい頃は上野駅にやってくるいろんな電車を見たくて、
階段の多い上野駅でおじいちゃんを連れまわしていました。
(今にして思えば、大変過酷な孫の世話だったと思います。)
きっとその体験が自身の作品内にも出てきているのでしょうね。
(『葡萄酒いろのミストラル』という作品には上野駅の複雑な構内の描写が登場します)
こんなふうにぼくの中には、おじいちゃんからもらった要素がいっぱいあるので、
おじいちゃんが見えなくなってしまった今もいっしょに生きている気持ちです。
でも、夜遅く稽古から帰って家の玄関を開けると漂ってくるお線香の香り。
毎晩、家の扉を開けるのが現実と向き合う瞬間になっていました。



中学生以降はずっと一緒に暮らしていましたが、
埼玉に暮らしていた小学生の頃は、
毎週末東武線に乗って、おじいちゃんの家に遊びに来ていました。
土曜日に泊まって日曜に帰る、そんな週末です。
日曜の夜、埼玉の家に帰る東武電車から見る暗い景色を見ながら、

「おじいちゃんは高齢だから、このままもう会えないかもしれないな…」

ちょっと涙ぐみながら、そんなことを思う、気の早すぎる小学生でした(笑)
それから35年も一緒に過ごせたことを思うと、とても幸せです。

亡くなる日。
おじいちゃん子なのを、おじいちゃんも知ってくれていたのでしょうか、
ぼくが病院に着くころは、すでに意識がありませんでしたが、
部屋に着いたそのすぐ後に、静かに心臓が止まっていきました。
公演稽古の忙しいさなか、おじいちゃんの最期に立ち会えて本当によかった。
駅から病院に急ぐ道、夕暮れの光がとても美しかったのを覚えています。



おじいちゃんの姿は見えなくなってしまいましたが、
今は身軽にいろんなところへ出かけているのでしょう。
ちょっと羨ましいくらいです。
ここ数年は我慢していたお酒を飲んで、会いたい人と会って、
いろんなことをしてほしいなと思います。
あと、おばあちゃんが気落ちしないように、
今までみたいにこっそり支えてほしいな。

かつて『四百年の襷』というお芝居を書いたことのある僕ですが、
近い肉親を亡くしてみて初めて気づく、いのちの「襷」の存在がありますね。
ぼくは次の誰かに何を託せるとも思いませんが、
おじいちゃんからもらったいのちを楽しく生きていきたいと思います。


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斎場の桜。いつもより桜がすこし早く咲き始めた季節のことでした。


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人生いろいろなお正月 [日々雑録]

新年あけましておめでとうございます。
風に舞う雪に、来し方行く末を思うお正月です。

年末年始、皆さんが紡ぐたくさんの言葉を見ていると、
自分とはまったく異なる人生のバリエーションを感じますね。
人生いろいろ。



自分の人生の重さは、毎朝起きて当たり前に感じる体重みたいに、
当たり前の重みとして背負いながら四苦八苦していますが、
皆さんもまた、他人が新鮮に感じるそれぞれの人生のその重さを
日々当たり前のことに感じながら、格闘しているんだなと。



過ぎ去った時間だからこそ、
人は「もしも〇〇していたら」と思うのかもしれませんが、
僕がもしも違う人生を生きていたなら、
いったいどんな2020年の正月だっただろう…?とファンタジーなことを思ってみたり。。
一方、これからに目を向ければ、そこに「もしも〇〇していたら」はありません。
これから先の出来事はこれから自分が選ぶ大事小事の積み重ねの結果なので、
何もかも自分次第。

生きたい人生を生きるには、もっともっと自分の判断のセンスを磨くだけですね。
その判断のセンスを磨くには、周囲で支えてくれている人たちの思いと、時間を大切に。
そしてその蓄積を活かしきれる健康な体を持つことを大切に。




思えば、僕の仕事はそうしたいろいろな人生を疑似体験したい、
という欲求がベースにあるのかも知れません。
そして、劇場という異空間でたくさんの人にいろいろな人生を疑似体験してほしい、と。
「人間として豊かに生きるには…?」を悶々と考えざるを得ない僕の人生(笑)、
それを創作活動、企業活動に“遠慮せず”活かしていきたいと思います。


ということで2020年のテーマは「遠慮しない」に決定!
もしかすると、ちょっぴり図々しい印象に変わるかも知れませんが、
許せる範囲のかぎりでご容赦いただければうれしいです。
社長業も、脚本家も、演出家も、劇団代表も、
緑川憲仁の人生を精一杯楽しく生きてまいりたいと思います。


皆様、ことしもよろしくお願いいたします。

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ありがとう、平成31年&令和1年。 [日々雑録]

大つごもりの夜です。
思えば一つの時代が終わり、新しい時代が始まった年でしたね。
ですが、正直なところ、時代の終わりや始まりといったニュース的な出来事よりも、
なんてことないふつうの毎日を送れることが素敵なことなんだということを、
今までよりも強く感じた一年となりました。
仲間やお世話になった方々のなかには、とても大変な出来事に向き合う人もいました。
そうした人たちに、自分が出来ることなんてそもそも無いんですが、
それでも、何かしら力になれることはないだろうか…
と考える時間が多かったように思います。


今年は、劇団も会社も準備に勤しんだ一年でした。
どちらも「2020」とかオリンピックイヤーを意識したことではないのですが、
2000年に旗揚げしたシアターキューブリックは来年が結成20周年、
2年前に社長に就任した会社Nextも、いよいよ大きな変革に挑もうとしています。
どちらも、まだリリースできないことがたくさんあって、
具体的に何を指すのかまではお伝えできないのが歯がゆいかぎりですが、
「魂は細部に宿る」ことを信じ、そして再確認する作業の繰り返しだったように感じます。
来年はそれらプロジェクトの実行段階となり、相当慌ただしい一年になりそうですが、
細部に宿すことをくれぐれも見失わず、
不器用なこの生き方を貫いてまいりたいと思います。


今年も一年どうもありがとうございました。
皆様、良いお年をお迎えください。


緑川憲仁

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おめでとう、への感謝じゃなくて。 [日々雑録]

昨日、おかげさまで44回目の誕生日を迎えることができました。
自分の父親とは、父が40歳の時までしか一緒に過ごしておらず、
社会人になって入った会社は社長(キャラメルボックスのプロデューサー)も若く、
その会社から分社独立する時点で、その社長もやっぱり40歳くらいでした。
ですので、自分に身近な「44歳の男」のイメージは、
僕自身の感覚においてはあんまりありません。
自分で開拓するというか、試行錯誤を繰り返し、進むだけです。

周囲からはしょっちゅう「40代には見えない」と言われます。
それが若々しいのか、幼いのか、年齢を超越した何かなのか(笑)
何を意味するのかは果たして分かりませんが、
努力も怠惰も善も悪も、すべてを包含した
「これが今の緑川憲仁という生身の作品」ということだけは確実です。
年齢らしさ、って一体何でしょうかね。



生きていると年に一回やってくる誕生日がちょっと苦手です。
齢を重ねてきて、より強く思うようになっているのは、
お誕生日は、今日まで自分を支えてくれた周囲の方々へ感謝をする日だなあ、
という気持ち。
ですが、僕を支えてくれる皆さんは「おめでとう」と言ってくれます。
僕は「ありがとう」と言います。
すると、「おめでとう」というお祝いに対して
「ありがとう」とお返しをしているみたいになります。
もちろん、その気持ちもあります。もちろんです。

けれど、誕生日にお祝いをしてもらう立場だとは正直思っていないんです。
自分へのお祝いの言葉があってもなくても、
近くにいる人にも、遠くにいてなかなか会えない人にも、
「いつもありがとう、おかげでここまで生きてこられました」
そういう気持ちで「ありがとう」という気持ちを伝えたいと思っています。
だから、突然部屋が暗くなって「♬はっぴばーすでー、とぅーゆー」とか、
ケーキとか、プレゼントとか、嬉しいのですが、なーんにも要りません。
あんまりコレ言うと、偏屈に思われるのであまり言いませんが(←言ってるし)、
なんだかそんなことを思っています。



それなのに、昨日はなんとオオゼキタクさんの15周年ワンマンライブで
突然バンドの皆さんやその場にいらした大勢のお客さんから、
一観客の僕なんかへお祝いの歌を歌ってもらってしまいました。
自分の椅子がセリになっていたらいいのに!と思うくらいに
「ぴゃ~~~~」という気持ちでした。
オオゼキタクさんの音楽は、不思議といろんな景色や人々の顔が目くるめきます。
自分の誕生日にナマでそういう歌を聴かせてもらいながら、
今まで過ごしてきた年月を思い、いろんな景色や人を思い出していました。
オオゼキタクさん、デビュー15周年おめでとうございます。
これからもたくさんの車窓とコラボしましょうね!

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僕は旅が好きなので、年がら年中「旅に行きたい!」と思っていますが、
人生そのものが長い旅で、いまもその旅の途中なんですよね。
旅館に泊まって、おいしいものを食べて、美術館に行くだけが旅じゃない、
毎日、いろんな人に会ったり、部屋に閉じこもったり、
いいことを思いついたり、一日机に向かって一文字も脚本が進まなかったり、
そういう時間全部がきっと旅なんですよね。
今はちょっとカッコつけて、こんなふうに書いているかも知れませんが、
死ぬ間際には、間違いなくそのように思うと思います。



僕は特に(異常な晴れ男であること以外)超常的な能力は備えていませんが、
このところ「不思議な力」を感じる出来事がよくあります。
自分の目に見えないだけで、そこに何かの力がはたらいている、
と思える出来事。

「人に恵まれている」という言い方がありますが、
これも別の言い方をすれば「人からチカラを送っていただいている」ということ。
物理的な援助や声援だけではなくて、心のレベルの。
その思いをキャッチでき得る自分の器とはなにか。
旅ももう半分を過ぎていますし、残りの半分はこんなことを思いながら、
いろんな人たちと一緒におもしろい旅を続けていけたらいいなと思います。

いつも僕を支えてくださっている皆さん、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

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即位礼の日の東京に生きる [日々雑録]

重たい議題の会合に向かう午後。
電車の人は、どことなく所在無さげな様子で、
お盆休みとは、また少し違う静けさの都心。
ふだん通りお仕事の人も多いみたいだけど、
休みの人も、ちょっぴり困惑気味の祝日だったかもしれませんね。

帰宅後、ニュースで見る大変貴重な皇室の伝統行事。
即位の礼は、ふだんこんな仕事をしていると、
不謹慎だけど大がかりなお芝居にも見えてきます。
リハーサルをしっかりやったんだろうなあ、とか
高御座の裏は舞台袖みたいにてんやわんやなんだろうなあ、とか(笑)


新しい時代が始まったんだなあという感慨と、
変わらずテレビ画面の隅を流れる被災地情報の重苦しさ。
どうやら、これからは気象災害が頻発する時代になるのでしょう。
気象で平穏が脅かされる世の中ならば、
せめて戦禍の脅威だけは避ける知恵を絞りたいものです。

期せずして本日の会合では芸術団体と政治の関係にも話が及んだのですが、
健全な民主主義を維持する風通しの塩梅が、どうも歪んできている気がします。 2F83C64B-7813-44CF-AE64-10B533CFBC26.jpeg

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神のお告げ [日々雑録]

10月19日の夜更けに、夢のなかで神のお告げ。

「ブログをまた始めなさい」。


寝付いたばかりなのに、眠れなくなった。

ちなみに長年続けてきたブログは、
ノートパソコンを替えた時にログインデータが分からなくなり、
窓口に問い合わせても、セキュリティが厳しすぎて教えてもらえず(笑)、
開店休業状態のまま実は一年近くが経っていて……。
これまで書いてきた記事の量もけっこうたくさんあるので、
既存のブログを捨てるには忍びなかったのですが、
こんな夢を見たからには、新規で立ち上げるか!と一念発起。
再びso-netで新しいブログを創ろうと思ったら、
なんと、今あるブログにログインできてしまったではないですかー!


というわけで、緑川のブログ復活です。
Twitterの文字数では語りきれなかったことや、
後々までしっかりと残したい気持ちを丁寧に綴っていきたいと思います。


そして、これは本当のことなのですが、
既に夢の中で新しいブログタイトルまで決められていたので、
装い新たに看板を掛け替えました。


その名も「犬なのかもしれない」。

どうぞよろしくお願いします。

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カムパネルラのもと~岡村孝子さんクリスマスピクニック大阪公演~ [日々雑録]

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『十二階のカムパネルラ』終演から1週間。
公演の余韻からここまで抜け出せないのは、なかなか無いことなのですが、
そんななか、メインテーマ曲として劇場空間を爽やかな空気で満たしてくださった
岡村孝子さんのコンサートツアー初日公演へ、お礼の気持ちを携えて行ってきました。

ふだんは、純粋に楽しい気持ちでウキウキ出かけるのですが、
今回ばかりは先週までの公演と地続きな印象を勝手に抱いていて、
この1年の苦しみや、俳優陣、スタッフ、お客さんみんなのいろんな顔が、
浮かんでは消え、消えては浮かぶ、大阪までの道中でした。
それくらいに『十二階のカムパネルラ』は岡村孝子さん無しでは語れない作品でした。


僕はもう20年近く劇作家の仕事をしていますが、
胸を張って「自分は劇作家です」と思えたことなんて実は一瞬もなくて、
「今書いている脚本は絶対に完成しないだろう」という恐怖に怯えていますし、
その脚本が無事に完成したら完成したで、今度は、
「もうこれ以上新しいお話を書くことはできない」といつも思っています。
そんな僕のいつも近くにいて、ものづくりの心を静かに煽ってくれるのが、
岡村孝子さんの言葉であり、旋律でした。

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作品のメインテーマ曲としてお借りすることになった初夏から今日まで、
『世界中メリークリスマス』をいったいどれだけ聴いたことでしょう。
もともと、僕にとってこの曲は「自動涙腺崩壊装置」たる存在だったわけですが、
まさかまさか、自身の作品を彩る曲に、、、と言いますか、
自身の作品を、無事この世に引っ張り出してくれた曲になろうとは、
一年前、同じ大阪の劇場で手拍子している時には露ほども思っていませんでした。

お芝居を観て下さった皆さんは、この曲とともに爽やかに昇天してゆく物語に、
いろいろな「救い」を感じてくださり、とても喜んでくださいました。
俳優陣も、この曲で暗転する瞬間に、共演者やお客さんとひとつに溶け合ってゆく、
そんな感触を持ってくれたかも知れません。
ですが、やっぱり一番の幸せを感じていたのは、きっと僕だろうと思っています。
今年の冬に生きている自分の姿をまったく想像できないほど、創作活動に苦しんでいた時期、
ふわっと救いの手を差しのべてくれた言葉と旋律は、
僕の人生を30年近くにわたり伴走し、この場所へ導いてくれた、この方の音楽でした。
そして、どうにかこうにか書き上げた脚本を、死力を尽くして演じてくれた俳優陣と、
その彼らの姿を見て感動してくれた多くのお客さん。
その人たちみんなの姿を間近で見ることができた僕は、
やっぱり誰よりも一番の幸せ者なんだと思っています。



僕にとって、そんな「宝物」のような存在にまでなってしまったこの曲。
この日は涙腺を崩壊させることもなく、包み込むようなこの方の音楽世界の海と、
『十二階のカムパネルラ』の光の世界を同時に堪能していました。

これまでの自分と確実に変わっているのは、


「たったひとつだけ願い叶う。サンタクロースがやってくる。」

というサビのフレーズを、
単なる美辞麗句としてではなく、
ほんとうにそうなんだ、と信じて聴けていることです。


これからも、今までよりもっともっと心の深いところで、
この方のメッセージをキャッチしていきたいと思いました。


といったようなことが心の中でぐるぐるしていたら、
公演パンフレットや大入り袋をお渡しするのを忘れてしまいました!(>_<)

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事務所の社長 金子邦雄さん、岡村孝子さん、素敵なお花をありがとうございました!

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実験中、365日経過。 [日々雑録]

こんなにも長く濃い365日。

それなりの失望もあり、それなりの疲労困憊の日々、ではあったけれども。

自分の中に生きつづける「少年」を、毎日はっきりと感じながらの365日。

未来の僕は出会いました。すべて感謝しています。


彼が秘め続ける永遠の灯を、どんなにオッサンになっても爺さんになっても、

果たして燃やし続けることができるだろうか。

僕の人生は、その実験のようなものなのかも知れません。

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365日経過後の緑川憲仁。遺影にぴったりな出来映えです(笑)
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泥中に咲く蓮のように [日々雑録]

岡村孝子さんの「T’s GARDEN」というコンサートへ行ってきました。
長らく演劇業界で仕事をしていますので、
一度も行ったことのない劇場というのは随分と少なくなりましたが、
今回生まれて初めて行く千葉県松戸の「森のホール21」という劇場へ。
名前の通り、緑が揺れる森の中にある素敵なホールです。

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岡村孝子さんのような有名アーティストの東京公演なら、
アクセスしやすい大都市のホールで行なわれることがほとんどですが、
「あなたの街で岡村孝子がホームパーティーを開くので気軽に遊びに来てください」
といったスタンスで全国各地をめぐるアットホームな公演。
とても岡村孝子さんらしい企画です。

このブログでも何度か綴っていますが、
14歳の時から岡村孝子さんが紡ぐ音楽と言葉に導かれ続け、
劇作家となった今では、自身のアイデンティティーに関して、
「物書きとしての細胞はこの人の音楽と言葉によってかたちづくられている」
そう断言できるくらい、人生において切り離すことができない存在。
自身の活動が忙しくなってからは、長らく足が遠ざかっていたのですが、
昨年夏からふたたび、劇場に足を運んで、音楽と言葉の海に溺れるようになりました。

『夢をあきらめないで』がもっとも有名な岡村孝子さんの音楽は、
聴く人の心を優しく包み込み、励ます作品が多いのですが、
そういう曲を含めて、僕は気がつくと、その音楽と言葉の世界に「溺れて」います。
今も溺れています。
包まれているんじゃなくて、溺れているのでわりと苦しかったりもします。
どうしてなのだろう、と考えたこともありませんでしたが、
昨日は、森の中を歩いて帰りながら、苦しさの訳について考えました。

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ところで、僕自身の仕事である演劇作品の脚本や演出は、
言葉を厳選し、会話を起こし、シーンを作り、作品として組み上げていく、
という意味では多くの「選択」と「決定」を繰り返してゆく仕事なわけですが、
正直、音楽と比べると、とてもフォルムが曖昧でファジーな仕事です。
執筆、稽古の各ステップで、「ニュアンス」の幅を最小限まで狭めていきますが、
完全なる「点」になることは殆どなく、ある程度の幅を残します。
それが楽しかったり、時には歯がゆかったりする面白い表現スタイルです。

それにひきかえ、音楽って演劇よりもフォルムがかっちりしていて、
しかもレコーディングをして、それがずっと後世に残ってゆくので、
聴衆が耳にする作品の「完全性」は演劇の比ではない気がします。
その完全性を湛えた作品の奥に隠れている、
制作段階の「苦悶」や、「反動」や「裏返し」といった作者の核心がきっとあって、
僕はこの核心部分に向かって、無意識にズルズルと引き込まれ、
どんなに優しい歌声や旋律や言葉でさえも、凶器のように心臓に突き刺さる……、
緑川にとっての岡村孝子さんの世界は、そんなスパルタ的存在です(笑)。
もしかすると、多くのファンの方が感じるものとは随分と違うのかも知れません。


若い頃に生み出す作品というのは、人間としての葛藤をストレートに表現しやすい、
そんな特徴を持った創作時期なのだろうと思いますが、
経験を重ねて、後輩ができて、家庭を持って、親になって、、、
そんなふうに年を重ねてゆくと、人間としての葛藤は相変わらずたくさんあっても、
それをストレートに表現する機会やチャンネルがだんだんと失われていき、
逆に、周囲を勇気づけるとか、導くとか、模範になるとか、
表現者じゃなくとも、大人たちはそんな役割を求められていきます。
でも、大人だって、若い頃と同じように、あるいはそれ以上に葛藤し続けているんですよね。

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だから、作品という最終形として、どんなに優しく、どんなに柔らかな顔をしていようと、
その音楽が生み出される過程の苦しみに思いを馳せずにはいられません。
そんな気持ちを持ちながら、コンサートに足を運ぶと、
曲と曲のあいだのおしゃべりタイムが、とても奥深い時間に感じられます。
言葉ひとつひとつを選び、迷いながら、丁寧にお話をする姿に、
作品づくりの際に、きっといっぱい苦しんだであろう苦悶が重なります。
そんなことを感じながら聴く旋律や言葉に、溺れずにいられる訳がありません。
溺れているわけですから、とても苦しく、波の上へ浮かび上がりたい気持ちにもなりますが、
でも、このもがき苦しむ時間が、僕をここまで導いてくれたということを知っているので、
僕は岡村さんの音楽と言葉の海に溺れ続けているのだと思います。


岡村孝子さんもMCでこんなお話をしていました。

「『甦る』とか『Reborn(生まれ変わる)』とか、
あいつは何回生まれ変わるつもりなんだ、と思われるかも知れませんが……(笑)」。
まさしく、闇から光を目指して、苦悶しまくっているんですよね。

僕は、泥中に咲く蓮の花を思いました。

毎日心がささくれ立つ出来事もいっぱいありますが、
けっして腐らず、夢を抱いて、理想を追って、
困難に向き合って、どんなときも超えていきたい、
そんな勇気が湧いてきた夜でした。

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ついつい長くなってしまいました。。
岡村孝子さんの音楽の世界を考える時間は、
まるで自分自身の沼を覗き込む行為のようです。


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