岐阜の若者たちと演劇やってきました! [日々雑録]
岐阜といえば、シアターキューブリックにとっては、
関ケ原東西武将隊、『島津の疾風』、『樽見鉄道スリーナイン』と、
まさに第二の故郷のような場所なのですが、
今回は岐阜高専演劇部の皆さんと演劇ワークショップをやってきました。
岐阜高専演劇部の皆さんとの出会いは3年前の鉄道演劇『樽見鉄道スリーナイン』。
この時に公演のサポートをしてくださったことをきっかけに
その後、はるばる東京までシアターキューブリックの公演を観に来てくれたり、
劇団メンバーが学校の文化祭に遊びに行ったりと、お付き合いが続いてきました。
そして今回は、僕らが出会うきっかけとなった鉄道演劇の稽古を体験してもらおう!
という趣旨のワークショップを企画しました。
岐阜市の郊外、本巣市にある岐阜工業高等専門学校までは樽見鉄道に乗って。
ちょうど大垣駅に停まっていたのは、公演で使わせていただいた車両でした。
車内の吊り革がこんなかわいらしいデザインになっていました!
ふだんは1ヵ月近い時間をかけて煮詰めてゆく公演の稽古。
わずか半日のワークショップをどういう時間にするべきか。
「ローカル鉄道演劇」という特異なスタイルのワークショップではありましたが、
行き着いたところは、やはり「演劇の楽しさを分かち合う」ということでした。
経験や技術の話をすれば、当然ながら僕らのほうが豊富に決まっています。
俳優は、お客さんに丁寧に誠実にメッセージを届ける仕事である以上、
経験や技術は大変貴重なものです。
ただ、演劇の現場でもっとも大切なことは、「感情」です。
それは自分自身が自覚してコントロールできる感情もあれば、
無自覚的に氾濫する感情もあります。
特に後者の感情は、多感な10代20代の彼らの宝物。
それらの感情が、仲間との協働の方向へと向けられた時、
思いもよらない奇跡が起こります。
今回のワークショップの稽古場もそんな空間になりました。
彼らの潜在能力は計り知れないものがあります。
彼らと一緒に過ごした時間はほんの僅かであるはずなのに、
僕は心から彼らの変化や成長を嬉しく、そして頼もしく思いました。
きっと、彼らの中に、在りし日の自分を見ていたのだと思います。
ずーっと昔、自分もこうだった、と。
そして、そんな自分は今どこに行ったのか、と。
かつての僕は、けっして失われてしまったのではなくて、
自覚していない、自分自身のどこかに隠れているんです、きっと。
それを探したくて、僕はこういう時間を企画し、彼らに会いにいったような気がします。
プロの演劇人が高専生に演劇を教えに行くなんて、これっぽっちも思っていなくて、
むしろ彼らから教えられる、気づかされることだらけだった一日でした。
経験を重ねたことが却って仇になり、「慣れ」から「惰性」へと落ちていったとき、
老いていようといなかろうと、人間はきっとダメになってゆくんだなあと、
キラキラ輝く彼らの目を見ながら、そんなことを思いました。
人生日々勉強。
僕も彼らに負けないよう、いつまでも挑戦を続けていきたいと思います。
関ケ原東西武将隊、『島津の疾風』、『樽見鉄道スリーナイン』と、
まさに第二の故郷のような場所なのですが、
今回は岐阜高専演劇部の皆さんと演劇ワークショップをやってきました。
岐阜高専演劇部の皆さんとの出会いは3年前の鉄道演劇『樽見鉄道スリーナイン』。
この時に公演のサポートをしてくださったことをきっかけに
その後、はるばる東京までシアターキューブリックの公演を観に来てくれたり、
劇団メンバーが学校の文化祭に遊びに行ったりと、お付き合いが続いてきました。
そして今回は、僕らが出会うきっかけとなった鉄道演劇の稽古を体験してもらおう!
という趣旨のワークショップを企画しました。
岐阜市の郊外、本巣市にある岐阜工業高等専門学校までは樽見鉄道に乗って。
ちょうど大垣駅に停まっていたのは、公演で使わせていただいた車両でした。
車内の吊り革がこんなかわいらしいデザインになっていました!
ふだんは1ヵ月近い時間をかけて煮詰めてゆく公演の稽古。
わずか半日のワークショップをどういう時間にするべきか。
「ローカル鉄道演劇」という特異なスタイルのワークショップではありましたが、
行き着いたところは、やはり「演劇の楽しさを分かち合う」ということでした。
経験や技術の話をすれば、当然ながら僕らのほうが豊富に決まっています。
俳優は、お客さんに丁寧に誠実にメッセージを届ける仕事である以上、
経験や技術は大変貴重なものです。
ただ、演劇の現場でもっとも大切なことは、「感情」です。
それは自分自身が自覚してコントロールできる感情もあれば、
無自覚的に氾濫する感情もあります。
特に後者の感情は、多感な10代20代の彼らの宝物。
それらの感情が、仲間との協働の方向へと向けられた時、
思いもよらない奇跡が起こります。
今回のワークショップの稽古場もそんな空間になりました。
彼らの潜在能力は計り知れないものがあります。
彼らと一緒に過ごした時間はほんの僅かであるはずなのに、
僕は心から彼らの変化や成長を嬉しく、そして頼もしく思いました。
きっと、彼らの中に、在りし日の自分を見ていたのだと思います。
ずーっと昔、自分もこうだった、と。
そして、そんな自分は今どこに行ったのか、と。
かつての僕は、けっして失われてしまったのではなくて、
自覚していない、自分自身のどこかに隠れているんです、きっと。
それを探したくて、僕はこういう時間を企画し、彼らに会いにいったような気がします。
プロの演劇人が高専生に演劇を教えに行くなんて、これっぽっちも思っていなくて、
むしろ彼らから教えられる、気づかされることだらけだった一日でした。
経験を重ねたことが却って仇になり、「慣れ」から「惰性」へと落ちていったとき、
老いていようといなかろうと、人間はきっとダメになってゆくんだなあと、
キラキラ輝く彼らの目を見ながら、そんなことを思いました。
人生日々勉強。
僕も彼らに負けないよう、いつまでも挑戦を続けていきたいと思います。
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