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おじいちゃんのこと [日々雑録]

先月の18日、ぼくのおじいちゃんが亡くなりました。
「見えなくなった」というほうが正確でしょうか。

96歳だったぼくのおじいちゃんとは、
ぼくが埼玉の幼稚園・小学校に通った8年間以外はずっと一緒に暮らしました。
80代半ばまで楽団でギターを弾いていたアーティストなおじいちゃん。
つまらないダジャレがすきで、手の器用なおじいちゃん。
周囲を一瞬固まらせてしまう、ぼくの唐突な、しかも冗談と判じ難い冗談は、
きっとおじいちゃんから母親へ、そしてぼくへと受け継がれた遺伝子です。
それからうちには畳一畳分くらいの、ぼくが作った鉄道ジオラマがありますが、
これもきっとおじいちゃんから受け継がれたものです。
10歳の頃、家に突然、上越新幹線のNゲージが出現しました。
おじいちゃんがぼくを驚かせるために用意してくれたものでした。
自分がしてもらって嬉しかった思い出は、自然と再生してしまうのでしょうね。

ぼくは自他ともに認める「おじいちゃん子」で、
小さい頃は上野駅にやってくるいろんな電車を見たくて、
階段の多い上野駅でおじいちゃんを連れまわしていました。
(今にして思えば、大変過酷な孫の世話だったと思います。)
きっとその体験が自身の作品内にも出てきているのでしょうね。
(『葡萄酒いろのミストラル』という作品には上野駅の複雑な構内の描写が登場します)
こんなふうにぼくの中には、おじいちゃんからもらった要素がいっぱいあるので、
おじいちゃんが見えなくなってしまった今もいっしょに生きている気持ちです。
でも、夜遅く稽古から帰って家の玄関を開けると漂ってくるお線香の香り。
毎晩、家の扉を開けるのが現実と向き合う瞬間になっていました。



中学生以降はずっと一緒に暮らしていましたが、
埼玉に暮らしていた小学生の頃は、
毎週末東武線に乗って、おじいちゃんの家に遊びに来ていました。
土曜日に泊まって日曜に帰る、そんな週末です。
日曜の夜、埼玉の家に帰る東武電車から見る暗い景色を見ながら、

「おじいちゃんは高齢だから、このままもう会えないかもしれないな…」

ちょっと涙ぐみながら、そんなことを思う、気の早すぎる小学生でした(笑)
それから35年も一緒に過ごせたことを思うと、とても幸せです。

亡くなる日。
おじいちゃん子なのを、おじいちゃんも知ってくれていたのでしょうか、
ぼくが病院に着くころは、すでに意識がありませんでしたが、
部屋に着いたそのすぐ後に、静かに心臓が止まっていきました。
公演稽古の忙しいさなか、おじいちゃんの最期に立ち会えて本当によかった。
駅から病院に急ぐ道、夕暮れの光がとても美しかったのを覚えています。



おじいちゃんの姿は見えなくなってしまいましたが、
今は身軽にいろんなところへ出かけているのでしょう。
ちょっと羨ましいくらいです。
ここ数年は我慢していたお酒を飲んで、会いたい人と会って、
いろんなことをしてほしいなと思います。
あと、おばあちゃんが気落ちしないように、
今までみたいにこっそり支えてほしいな。

かつて『四百年の襷』というお芝居を書いたことのある僕ですが、
近い肉親を亡くしてみて初めて気づく、いのちの「襷」の存在がありますね。
ぼくは次の誰かに何を託せるとも思いませんが、
おじいちゃんからもらったいのちを楽しく生きていきたいと思います。


IMG_5151 (1).jpg

斎場の桜。いつもより桜がすこし早く咲き始めた季節のことでした。


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