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メイクアップ、メイクダウン。 [劇作家の時間]

芸能活動を始めたころの10代、作品づくりを始めたころの20代、
多くの人と同じように僕は「メイクアップ」の願望を持っていました。
飽くまでも、こころのメイクアップの話です。
自分がかくありたいと憧れる人物像を心に留めながら役を演じ、
日常の時間とは離れた非日常をお客さんに楽しんでもらうには、
派手で華やかな演出を…と、人物や空間を「メイクアップ」する考え方。

劇団を立て、自身の作品づくりを始めるようになって数年経った頃、
自分にとっての「メイクアップ」思考の目的が何なのかが分かってきました。
自分はなぜファンタジーの仕掛けを盛り込むのか、なぜ賑やかな演出を好むのか。
それは、物語に登場する人間だれもが持つ「非社交的」で「内なるもの」を
効果的に浮き立たせるための、ある種のバランス維持が目的なんだと。


一般的に、派手な演出が施されたファンタジー作品には、
必要以上にリアルで繊細な心理描写がされている人物はあまり登場しません。
ストーリーを楽しむには逆に足かせになってしまうからでしょうか。
ですが、シアターキューブリックのファンタジーの場合、
ファンタジーを選択している理由自体が「人の内なるものを見せるため」なので、
結果、あまり他では見ないテイストの作品になるのかも知れません。

劇団メンバーや出演する俳優に求めることも、
当然ながら「人が隠す感情」の部分へと行き着きます。

つまり「メイクダウン」の方向性。



人には見せない、見せたくない人間性。
外見やせりふ回しをそのようにすればよい、という表面的なことではなく、
俳優が自分自身の「内なるもの」に向き合わねば、けっして出てこない表現。
あるいは、それは「表現」という範疇を超えて、「表現しない演技」になるのかも知れません。

30代、40代とさまざまな時間を生きてきて、
僕自身にも「(自覚し得る)内なるもの」が増えてきました。
自然と同年代の俳優にはそれを求めるようになるのですが、
(無自覚的に)「メイクダウン」を嫌う俳優がいることも事実です。
「そんなみっともない自分をお客さんに見せたくない」という感情。
きっと「みっともない=魅力的じゃない」という気持ちなのでしょう。
厄介なのは、そうした気持ちを無自覚的に持っている場合、
その人自身は「自分はどんな役でもやります!」と思っているということ。

演出家として、今後僕の課題になることは、
無自覚的にメイクダウンを拒絶しているようなタイプの俳優に対して、
人間だれもが持つみっともない部分も含め、
いかに人間が魅力的かということを共有する言語を持てるかどうか。


劇団結成20周年記念公演の2作品に向けて具体的な準備を進めるかたわら、
作家として、こうした自分の核を再確認する時間も大切と感じたりしながら、
田嶋ミラノさんが遺してくれた『幸せな孤独な薔薇』の脚本を読んでいます。

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シアターキューブリックの公演予定
『幸せな孤独な薔薇』
作 田嶋ミラノ 演出 緑川憲仁
2020年4月9日(木)~15日(水)
浅草九劇

キャスト
片山耀将 奥山静香 千田剛士
西川浩幸[演劇集団キャラメルボックス]
首藤健祐[東京ハートブレイカーズ]
鈴木研[第27班] 眞実 坂本実紅


『葡萄酒いろのミストラル』
作・演出 緑川憲仁
2020年10月21日(水)~25日(日)
恵比寿・エコー劇場

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