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おめでとう、への感謝じゃなくて。 [日々雑録]

昨日、おかげさまで44回目の誕生日を迎えることができました。
自分の父親とは、父が40歳の時までしか一緒に過ごしておらず、
社会人になって入った会社は社長(キャラメルボックスのプロデューサー)も若く、
その会社から分社独立する時点で、その社長もやっぱり40歳くらいでした。
ですので、自分に身近な「44歳の男」のイメージは、
僕自身の感覚においてはあんまりありません。
自分で開拓するというか、試行錯誤を繰り返し、進むだけです。

周囲からはしょっちゅう「40代には見えない」と言われます。
それが若々しいのか、幼いのか、年齢を超越した何かなのか(笑)
何を意味するのかは果たして分かりませんが、
努力も怠惰も善も悪も、すべてを包含した
「これが今の緑川憲仁という生身の作品」ということだけは確実です。
年齢らしさ、って一体何でしょうかね。



生きていると年に一回やってくる誕生日がちょっと苦手です。
齢を重ねてきて、より強く思うようになっているのは、
お誕生日は、今日まで自分を支えてくれた周囲の方々へ感謝をする日だなあ、
という気持ち。
ですが、僕を支えてくれる皆さんは「おめでとう」と言ってくれます。
僕は「ありがとう」と言います。
すると、「おめでとう」というお祝いに対して
「ありがとう」とお返しをしているみたいになります。
もちろん、その気持ちもあります。もちろんです。

けれど、誕生日にお祝いをしてもらう立場だとは正直思っていないんです。
自分へのお祝いの言葉があってもなくても、
近くにいる人にも、遠くにいてなかなか会えない人にも、
「いつもありがとう、おかげでここまで生きてこられました」
そういう気持ちで「ありがとう」という気持ちを伝えたいと思っています。
だから、突然部屋が暗くなって「♬はっぴばーすでー、とぅーゆー」とか、
ケーキとか、プレゼントとか、嬉しいのですが、なーんにも要りません。
あんまりコレ言うと、偏屈に思われるのであまり言いませんが(←言ってるし)、
なんだかそんなことを思っています。



それなのに、昨日はなんとオオゼキタクさんの15周年ワンマンライブで
突然バンドの皆さんやその場にいらした大勢のお客さんから、
一観客の僕なんかへお祝いの歌を歌ってもらってしまいました。
自分の椅子がセリになっていたらいいのに!と思うくらいに
「ぴゃ~~~~」という気持ちでした。
オオゼキタクさんの音楽は、不思議といろんな景色や人々の顔が目くるめきます。
自分の誕生日にナマでそういう歌を聴かせてもらいながら、
今まで過ごしてきた年月を思い、いろんな景色や人を思い出していました。
オオゼキタクさん、デビュー15周年おめでとうございます。
これからもたくさんの車窓とコラボしましょうね!

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僕は旅が好きなので、年がら年中「旅に行きたい!」と思っていますが、
人生そのものが長い旅で、いまもその旅の途中なんですよね。
旅館に泊まって、おいしいものを食べて、美術館に行くだけが旅じゃない、
毎日、いろんな人に会ったり、部屋に閉じこもったり、
いいことを思いついたり、一日机に向かって一文字も脚本が進まなかったり、
そういう時間全部がきっと旅なんですよね。
今はちょっとカッコつけて、こんなふうに書いているかも知れませんが、
死ぬ間際には、間違いなくそのように思うと思います。



僕は特に(異常な晴れ男であること以外)超常的な能力は備えていませんが、
このところ「不思議な力」を感じる出来事がよくあります。
自分の目に見えないだけで、そこに何かの力がはたらいている、
と思える出来事。

「人に恵まれている」という言い方がありますが、
これも別の言い方をすれば「人からチカラを送っていただいている」ということ。
物理的な援助や声援だけではなくて、心のレベルの。
その思いをキャッチでき得る自分の器とはなにか。
旅ももう半分を過ぎていますし、残りの半分はこんなことを思いながら、
いろんな人たちと一緒におもしろい旅を続けていけたらいいなと思います。

いつも僕を支えてくださっている皆さん、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

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